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海野和三郎 プロフィール
海野和三郎 プロフィール
私達の教育改革通信

 
 
 
 
 
 
海野和三郎 プロフィール
 
 
 
 
教育改革通信 第 177号 2013/5

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全選択肢持つエネルギー計画

海野和三郎

表題は、産経新聞4月24日の「正論」山名元氏の論説の表題である。アベノミックスのエネルギー基本計画の討議内容として、1,最近の環境変化(原発停止、燃料輸入、電気代値上げ)、2.生産・調達(原発安全、再生可能エネルギー、シェールガス)、3,流通(電力システム)、4.消費段階、5,横断的課題(国際関係など)が討議された。その意味するところは、世界エネルギー市場の変化、国内エネルギー流通の脆弱性、国民意識の変化などへの対策が新しい視点で求められている、という。東日本大震災の原発事故が世界のエネルギー問題に対する視点を転換させるショックとなった意味もあり、その一つとして特に注目されているのは、アメリカのシェールガス採掘によるエネルギー自給が革命的に進行している事実である。それに対して資源小国の日本が採りうるエネルギー問題に対する対策は何か、それが山名氏の論説の主題である。「可能なエネルギーオプションの全てを保有する」ことがその基本で、技術大国の日本の採るべき道であるという。「要するに、我が国は、石油・天然ガス・石炭・原子力・水力・再生可能エネルギーの全てを必要とするということである。」という。それぞれのエネルギー源はエネルギーという点では共通だが、それを取得する機構と環境には違いがあり、利用目的によって使い分けることができる。「原子力発電の海外依存度が極めて低く燃料費が安い、という特長を生かし、石炭火力・ガス火力・石油火力・水力と組み合わせた上で、再生可能エネルギーもメタンハイドレートなど自国産エネルギー資源の開発を進めることが、当面の現実的な道筋であろう。」という。まことに視野の広い重要な提言である。この10年先までのアベノミックスへの進路を拓く提言である。欲を云うと、その30年先50年先、100年先のエネルギーへの見通しが欲しかったが、それがこれからの議論の主題である。
  ヒト1人は各瞬間約1kWのエネルギー消費で生きていると云われている。1kWの電熱器をつけっぱなしにしたエネルギー消費で生きているというわけである。(個人により、時代によっても異なるが、ファクター3程度の不確かさでの数字であろうか。)エネルギーは不変量で形は変えられても総量は不変で、ヒトが勝手に作り出すことは出来ない。古来エネルギーの取り合いが戦争などあらゆる紛争の原因となった所以である。20世紀の文明は、農業などによる自然エネルギー利用の他、大ざっぱに云って、石油など化石燃料利用の文明であった。文明の共通通貨である電力でいうと火力発電主体の文明であった。21世紀になって、数十年後の石油の枯渇(石油ピーク)が予見され、原発への移行が次第に現実となって来た。原発の危険性は予知されては居たが、資源小国技術大国の日本は同時に大地震最頻国であることへの注意がおろそかにされていた。東日本大震災は、天の与えた警告であり、被害者には申し訳ないが、その警告を伝える使徒の役割を果たした意味があると考える。21世紀のエネルギー問題は、人類の命運に関わる最重要問題である。太古、原人は天然・自然の食生活で生きていたであろうが、やがて農業牧畜などを発明して現代人へと進化した。イチョウの繁茂した2億年前、恐竜の絶滅した5万年前(?)と比べても、つい昨日のことと言える100万年ほど前のことらしい。その後、氷河期などの気候変化もあり、人類は農業牧畜などの適地を求めて故郷アフリカからユーラシア大陸へと転出した部族があり、政治経済などを含め文明は世界に広まり、その最大の中心問題であったのが、エネルギー問題であったと想像される。より豊かなエネルギーを求めて、文明は発展もしたが、同時にエネルギーの取り合いは部族間の抗争となり、戦争となった。戦争はエネルギー伝達の意味で文明の発展に寄与もするが、逆に、原爆戦争になれば人類絶滅に直結する。ホーキングの云う、「人類は、文明を発展させ、その文明によって100年で絶滅する」という所以である。文明は、より豊かな生活環境を要求する。それを可能にするエネルギー源が必要である。21世紀は、その意味で人類進化の時代である。ところで、山名論説のいう「全選択肢を持つエネルギー計画」により、ここ10年か20年のアベノミックスは心配ないと思うが、原発の機能が回復しないと国際経済とのバランスが難しくなる。再生可能エネルギー中で、その重圧を質量ともに充分以上に跳ね返せるのは、簡易集光システムを用いた太陽熱発電ではないかと考えている。集光をしない太陽光発電では、よほど良い環境で永年利用しないと、パネルの製作の費用(エネルギー)がまかなえない。(現在は、環境問題への配慮もあり、補助金付で普及を図っている。)太陽熱発電では、シーロスタット集光装置、ペルチエ素子や溶融塩利用方法など工学技術の開発をする必要があるが、原理は簡単で発電されるエネルギー単価は太陽光発電に比べて10分の1以下になると推定される。工業力と意欲を持つ同志が仲間になってくれることを切に希望する次第である。

 
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侮れぬ囲碁のコンピューターソフト 

菅野礼司

 
 
 

ついにコンピューターが将棋プロに勝った。現役のプロ将棋棋士とコンピューターソフトとの公式対局「電王戦」の第2局目でコンピューターが1勝をあげた。5戦の結果は3勝1敗1引き分け、コンピューターの圧勝であった。このような事態は、将棋ではいずれ近いうちに来るだろうことは予測されていた。だが囲碁ではそう簡単にはいかない、当分大丈夫と予測されている。しかし、それも怪しくなってきた。

コンピューターの強さと弱点

 碁盤上に石を置く着手の数は余りにも莫大すぎるから、経験によって養われた感性により着手の候補をまず決め、後から読みの力でその手の適否を確かめる。石の方向や大場・急場の判断には、この感性が大いにものをいう。それゆえ、囲碁の理論や定石・手筋を憶え、読みの力をつけても強くなるとは限らない。囲碁理論の基礎知識以外に、読みの力と感性の育成、それに学習能力の3要素が欠かせない。これ以外にも、対局相手の性格や癖を読み取り、着手に変化をつけることができれば、一段と強くなる(勝率が上がる)

 コンピューターソフトは、一瞬にして何万通りの手を読めるから、読む力は人間を遙かに上回る。また、感性を必要とする石の方向や大場などの判断は、実践例を沢山記憶させておけばかなり補える。だが、自ら判断することと、学習することはできなかった。

 いくらコンピューターでも、メモリー能力には限界がある。スーパーコンピューター(スパコン)ができてメモリー容量は格段に増大したが、それでも、囲碁の場合は終局までの全着手数には遠く及ばない。この膨大な手をすべて読み切れないから、人間は感性によって直感的に着手の範囲を制限している。その判断力は学習によって高められる。感性による判断力とその学習がコンピューターにはできなかった。それゆえ、チェスや将棋ではコンピューターがトッププロに勝てるようになっても、囲碁ではコンピューターはそう簡単に人間に追いつけないと私も思っていた。

 以前の囲碁ソフトの開発は、布石や定石、攻め合い法などを記憶させた上で、囲碁理論を取り入れた評価関数(一手の価値を決める関数)を求めるという正攻法であった。しかし、うまい評価関数の開発は大変難しく停滞していた。

モンテカルロ法は「カンニング法」

 そこで、発想の転換がなされた。コンピューターのこれら欠陥を埋めるために、逆手を取ったモンテカルロ法が開発されてから、ゲームソフトは飛躍的に強くなった。囲碁ソフトも当然飛躍した。モンテカルロ法とは、ゲーム終局までの着手をランダムに並べ、すべてのパターンを較べてみて、その中の勝ちパターンを選ぶ。その着手を逆に辿ってその局面まで行き、着手を決める方法である。この方法は結果(答え)を見て遡るのであるから、一種のカンニング法であり、ゲーム理論は原理的には一切必要としない。当然囲碁も同じである。ひたすら勝ちパターンを見つけて遡る努力だけが必要である。だから、手数が短く最後まで並べきれるゲームなら、モンテカルロ法は負けなしである。だが、囲碁の場合は、手数が長く着手の変化もものすごく多いので、終局まで打つと着手の変化数は10の400乗ほどになる。それゆえ、スパコンのメモリー容量を遙かに超えて、最後まで並べきることは実際には不可能である。そこで、数十手先まで読んでその場面で最善手(勝ちに導く)と思われる手を決めるわけだが、それでも着手数は多すぎる。だから、無駄な着手の枝を切り捨てるために「ミニマックス法」という手段が開発された。

「ミニマックス法」とは

 たとえば、次の着手に10通りの可能性があり、そのまた次の着手も10通りというように続くとしよう。すると、着手の分岐枝が一つの枝から10本ずつでることになる。このような図を「思考木」または「探索木」という。次の可能な着手が常に10通りでは10手先で10の10乗になり、すぐにメモリーが不足するから、あまり先まで読めない。そこで、余分な着手と思われる思考木の枝を切り捨てる「枝切り」をする。それによって半分の枝を切り捨てることができるなら、着手の選択枝は5だから、10手先でも5の10乗となり、格段に少数になる。それゆえ、余分な選択枝を少しでも多く切り捨てることが望まれる。そのときどれが「余分な枝」かを判定する方法が問題である。いまのところ、もっとも優れた方法は、この「ミニマックス法」と呼ばれるものだそうである。そのエッセンスは次の通り。

一段落した末端局面で(できれば最終局面で)、すべての端末枝の着手の評価(その方法が問題であるが省略)をして、そこから前の着手へと枝を遡って一段ごとに余分な枝を切り捨てていく。そのさいの選択基準は、自分の着手については評価値が最大になるものを選び、相手の手番ではこちらの手の評価値が最小になる着手を選ぶのである。そのような思考木を選び、それ以外の枝は切り捨てるというのである。この評価法で次々に上に遡っていて着手を決めるわけである。「ミニマックス」という名はここからきている。

 このミニマックス戦略をモンテカルロ法に適用して着手を決めるなら、囲碁理論は原則として不要である。しかし、終局まで行って、そこから思考木を遡ることは不可能であるから、何手先まで読めば一段落した末端局面とみなせるか、それを判断しなければならないし、またその端末局面で着手の評価をせねばならないから、モンテカルロ法にもある程度の囲碁理論が要るはずである。それでも、このカンニング的モンテカルロ法は正攻法でないから、囲碁理論の進歩にはあまり寄与せず、強さにも限界があると思っていた。

学習するコンピューター


モンテカルロ法は莫大な記憶容量を持つコンピューターのみ可能であり、人間には真似できないことである。これがコンピューターの強みである。それに加えて、 囲碁上達に必要な基礎知識の上に、前記の3要素、読みの力、感性の養成、学習能力を具えたソフトができれば、たちまち人間の棋力を凌駕するであろう。コンピューターは布石、定石、手筋などの記憶、および読みの力(攻め合いなど)は人間を超えるから、判断力と学習能力が備われば千人力である。そうなるとプロ棋士も太刀打ちできなくなるだろう。

 その判断力や学習能力のソフトが、ロボットの技術開発によって最近急速に進歩しているそうである。人間の世話をするロボットは、人との交流によってその人の癖や性格を読み取り、状況に応じて行動(反応)する、つまり学習できるところまで発達していると、NHKスペシアルで放映された(2月)。学習(まなぶ)とは、単に情報を記憶しそれを蓄積して、必要に応じてその情報をそのまま引き出す、つまり「まねる」というのではない。蓄積された情報を組み合わせて、内部で新たな情報を創発することである。このような学習ができれば、やがて総合的判断力が生まれる。さらには、相手の性格に応じた駆け引き、つまり「心理作戦」までできるようになるかも知れない。この種の学習能力に欠けていることが、人間と比較してコンピューターの弱点であった。

 「単純な学習」(蓄積した情報を組み合わせる)ができるソフトは以前からあったが、学習によって新たな情報を創発するソフトの開発は生やさしいものではないので遅れていた。だが、一たんその壁が突破されると、最初はちゃちなものでも、急速に進歩するものである(この現象はソフト開発に限らず多方面に見られる)。ただし、囲碁・将棋などのゲームソフトの「学習」は、主として多くの情報を集めて新たな法則を見いだす帰納法に関する学習である。それは論理的証明に繋がるものとは異質の学習である。囲碁・将棋には帰納法的学習が必要であり、論理的証明の能力はあまり要らないだろう。ちなみに、演繹的証明法は帰納法的証明の学習よりも遙かに難しいから、それはコンピューターには当分できそうにない。

人間を追い越す囲碁ソフトの出現は案外近い?

  コンピューターが人間よりも劣るものは感性・判断力そして学習である。そのうちの学習ができるようになれば判断力もつき、鬼に金棒である。莫大な記憶容量の上に、その学習能力に基づいた判断力を獲得すれば、人間にはできないモンテカルロ法と併せて、その能力が人間の棋力を超えるのは最早時間の問題であろう。学習によって何手先まで読んで、局面の情勢判断すればよいか、どの枝を切り捨てるべきかの判断力がつくようになる。そうなると、ランダムに打つモンテカルロ法を抜け出すことになるだろう。

つい最近まで、コンピューターの愚直さと容量の限界ゆえに、当分の間囲碁では人間に勝つことはできないと私は侮っていたが、これほど早く人間が追い越されそうになろうとは思いもよらなかった。これも「想定外」と負け惜しみを言うより、不覚を恥じる。

それはさておき、何年先に人間を超すコンピューターは現れるか。コンピューターソフトの仕組みについて素人の私にはまともな予想はできないが、敢えて懸けてみることにする。現在は、コンピューターは一流棋士と4子で打てる棋力である。

人の世話をするロボット、また原発事故以後、危険地で人間の代わりをするロボットが注目されだしてその社会的需要は大きい。この種のロボットは学習による判断力の育成が望まれる。それゆえ、学習し判断力を養うロボットの開発と進歩は急速であろう。この分野で開発されたソフト技術を囲碁ソフトに取り入れ、それに実戦を重ねて学習させるならば、あれよあれよという間に人間の棋力を超えると思う。プロ棋士に追いつく囲碁ソフトの出現は案外早く、後5~6年で実現するのではなかろうか。

 
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アラブ人は嘘つきか?

立石昭三

 
 
 

  この頃は世界の各地で日本人を巻き込むいろいろな事件が起こります。そして日本人が旅行先や赴任先で悲惨な事件に関係することもよくあるようです。中でも2,013116日にアルジェリア、イナメナスで発生したガス・プラントで「日揮」の社員10名が人質になり、結局は政府軍や武装集団に殺害された事件は今も記憶に生々しく思い出されます。

  私は月に一度、いろんな分野で活動して今は退職した方々と京大芝蘭会館で昼食をとりながら語り合う「月曜会」と云うのに参加しております。この会で、帝人からアルジェリアにプラント輸出をした時に、年余に亘り働いていた小仲宏さんと語る内にアルジェリア人の気質についての話になりました。会社や新聞によりますと解放されたアルジェリア人が日本人の消息について聞かれると、夫々が違った事を話していたようです。それで日本政府はハッキリした人質の氏名や消息を発表できなかった、と云うことでした。小仲氏はアルジェリア人は、とてもプライドが高く、質問しても「知らない」とは絶対言わない、それで解放されたアルジェリア人に日本人を含む人質の消息を尋ねても皆、別々の事を言うだけだ、と言いました。それで日本側が受け取った情報は混乱しましたが、彼はアラブの文化を知っていれば当然のこと、とも言いました。
 私もイエメンに結核対策で4年間居ましたが、休日には出来るだけ地方に行くようにしていました。ある日、ナヴィ・シュワイエと云う雷鳥が棲んでいる雪山を目指して居た時のこと。砂漠だけのように思われるアラビア半島にもその西側には紅海から立ち上がる水蒸気が南北につらなる高い山にあたって雪を降らせる山があるのです。麓まで車で行って後は山頂を目指しました。途中、何度か土地の人に道を尋ねますと、異口同音に「すぐそこだ」との答えが返ってきました。でも一向に目指す目的地には着かないのです。こういう経験を繰り返すうちに、私はそれが嘘をついた訳ではなく、質問にはとにかく答えて、間違いであっても相手を一安心させるのがアラブ文化の根本だと思うに至りました。これも文化の違いで、これを「嘘つきだ」、と言ってしまえば異文化摩擦を生じるのだと思います。アラブ人は嘘つきでしょうか?それとも道を尋ねるなんて砂漠の国では生死にかかわることなのに、それを知らずに来た日本人はよほど甘ったれなのでしょうか?

またこうも考えられます。アラブと日本では、地理的風土的生活習慣・文化が大きく異なります。したがって、その地で暮らそうと思えば、その地の文化・風俗・習慣を熟知しなければ、まともな暮らしは出来ません(『郷に入っては郷に従え』) 日本のように狭隘な国土での『すぐそこ』と、広大な国土での『すぐそこ』とでは、基準となるスケールが違います。因みにアメリカ合衆国の農村地帯では、隣家が数キロ・十数キロというのがざらにあります。

先般のゲリラ人質事件では、情報が錯綜して正確な情況がつかめず、日本政府が苦慮したわけですが、現地人が悪いのではなく、日本政府の情報収集能力の不足によるものではないでしょうか?上げ膳据え膳で、米英などからの整理された情報を戴く事を当然として来た日本政府の甘えの構造が図らずも露呈されたに過ぎません。アラブ人が嘘つきやテロリストばかりのように報ずるメディアにも問題はあるのでしょう。イスラムはもともと平和な宗教なのです。

 
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アルジェリアの思い出

小仲 宏

 
 
 

A.はじめに

1月16日にアルジェリア東部の石油プラントで日本人を含む多くの外国人がイスラーム武装勢力に襲撃・拘束された。この事件は、以前にアルジェリアと関わりがあった私にとって他人事ではなく、毎日流されるニュースを暗い気持ちで聞いた。

アルジェリア政府は国民に対し、武装集団は予想できない場所を攻撃するので、外国企業の施設に近づかないよう警告していると聞いて、日本人としては友人から見放されたようで不思議な孤立感を味わった。これは私自身が多くの善良なアルジェリア市民に助けられて仕事が遂行できた達成感と、そこで起こった現実の出来事に大きなギャップを感じたからだ。

ずいぶん古い話を持ち出すことになるが、アルジェリアでの生活の片鱗を紹介しながら以下思い出に少し触れてみたい。

B.アルジェリアの概要

アルジェリアの国土は日本の約8倍、人口は日本の約1/3であるが国土の85%が砂漠である。

先史時代のサハラは草原であったが、紀元前2000年ごろからサハラが乾燥化して砂漠が広がった。

砂漠化の進行は今も続き、私たちが旅行したとき、ガイドが河のような地形を説明するとき、自分の子どものころは水が流れていたというほど凄い勢いで砂漠化は進行している。

2世紀からのローマ帝国の遺跡がそのまま朽ちないで残っているのは、乾燥によるのだろう。

ローマ帝国の末期にキリスト教が伝来し、「キリスト教最大の教父」と呼ばれるアウグスティヌスが生まれている。

しかし7世紀末から8世紀初頭にかけてアラブ人の侵入によって土着のベルベル人たちはイスラーム教に改宗し、住民のアラブ化が進んだ。一方で15世紀にはスペイン系ユダヤ人が沿岸部の都市に定着し、商工業を支えたといわれている。

宗教はイスラーム教の多数派であるスンニー派が国教となっている。

因みにシーア派やスンニー派の呼称は分派や宗派という意味合いがある訳ではなく、イスラーム共同体の「あり方」に関わる問題であって、イスラームの宗教的根幹である神の唯一性や聖典そのものといった信仰箇条については、目立った相違はない。

スンニー派は、イマームの指導を重視するシーア派に対して、預言者の言行を通じてスンナの解釈を行うことで預言者の意思を体現しようとする。さらにイスラーム法学者の議論を通じて、コーラン、慣行、合意、類推の四つの方法を四法源として重視している。

私が親しくしていたイスラーム信者の説明でも、モスクの指導者イマームは、聖職者というより、尊敬されている人、よく勉強している人という存在で、日常は一般人と同じ職業についている。

言語は現在の公用語はアラビア語であるが、フランス語が広く用いられており、南部ではベルベル語も国語となっている。

民族はアラブ人(80%)、地中海民族といわれているベルベル人(19%)その他である。

今回テロを起こしたのは南部のトアレグ人とも報道されている。

国の経済は原油と天然ガスで財政収入の70%、輸出の97%、GDPの36%を占めている。

貿易額は2010年の統計によると日本からの輸出は840億円、輸入は407億円となっている。自分が関与した技術輸出プロジェクトの契約が264億円であったのはアルジェリアにとって相当高い比率を占めていたことになる。

1954年から1962年、フランスから独立を求めて戦争が起こり100万人が戦死した。

私がアルジェリアに赴任した1982年に、ちょうど20年目の独立記念日の祝賀行事があって、国中が熱気に包まれていた。社員の中には父親を戦争で亡くした人も居て、悲しい話を聞かされた。

当時はシャドリ大統領の時代で政権は安定していたが、1992年イスラーム原理主義によるテロが活発化してシャドリ大統領が辞任した。国内は内戦状態になり反政府軍と政府軍に15万人の死者が出たとされ情勢は以後10年間悪化した。今回のテロで軍が強行姿勢をとったのはこのような背景もあるのだろう。

その後に大統領が変わり10年の間に様々な対策がとられて今は一応安定している。

現在の在留邦人は2011年の統計で560人と報告されている。

C.仕事の概要

私が参加したプロジェクトは、年産325万米生産できる高級フィラメント織物工場の建設と製造技術移転の技術輸出であった。従業員は約800人で1977年に契約し、納期は1982年で最初から関わったが少し納期遅延を起こした。

契約当事者は日本側が川崎重工、伊藤忠商事、帝人のジョイントベンチャーで相手方は国立繊維公団であった。私は帝人のメンバーとして、工場のコントロール(管理)技術を移転する仕事を担当した。

工場の場所は、アルジェリア北西の端、地図で見ると地中海に面しているモロッコ国境までわずか25kmのところにある。首都アルジェまで1,000kmあって、タクシーを時速100kmでぶっ飛ばしても10時間以上かかる。仕事が目的の滞在ではあるが、このことを説明し始めると紙面が足りなくなるのでこの程度で後は割愛させていただく。

 

 

D.アルジェリア人と宗教

アルジェリアのプロジェクトに加えられることが決まったとき、言葉と宗教の問題が一番心配であった。言葉の問題は、フランス語の技術ドキュメントを3mくらいの幅になるくらい作成しなければならないと聞かされ、これがまず恐怖であった。心配しても仕方がないので、関西日仏学館に通って一生懸命努力したがこれが結構つらかった。何がつらいかといえば、3カ月ごとに進級試験があって、基準点数に満たなければ容赦なく学級のやり直しである。若い京大生に混じっての勉強であるから、若い学生にはどんどん取り残されてこれがつらかった。

しかし、辛いことだけでもなく、今まで知らなかったフランスの文化や習慣なども同時に学ぶことができて、視野も広がってこれは楽しかった。

もうひとつの問題は宗教である。プロジェクトに加わった日本人で宗教問題に悩んだのは私一人だけであったが、この悩みを相談できる人は日本には見つからなかった。

そのとき私がしたことは、何故悩んでいるのか自分の中ではっきり意識化しようと思った。

その結果自覚したことは、自分は代々キリスト教の家系に育ち、小さいころから当たり前のように教会に通い、世間的には敬虔なクリスチャンのように言われてきたが、自分ではクリスチャンとしての満足感はなく、信仰の確信もないまま人生を送ってきた。文献によると、イスラーム教徒というのは、すべての人が神に忠実で命を捧げることも惜しまないように書かれているので、その中に埋没してしまわないかという心配であった。自分の宗教を伏せてイスラーム教徒と付き合えば、イスラーム教徒は挑発してこないだろうと考えたが、自分の信仰を隠すことは神への反逆のようで、この勇気も出なかった。

悩んだ末に出した自分の答えは、今ここで自分がクリスチャンであることの自覚を新たにする道を選んだ。その上でコーランにも目を通し、時間のある限りイスラームについて学ぶようにした。

このときの精神活動が、現在の宗教活動の基になってくるとは当時は思ってもいなかった。

アルジェリアに到着して、これから一緒に仕事をする現地の人と二人で話をする機会ができたとき、日本人なら食べ物は口に合いますかとか、暑くないですかなどの話題から入るのが普通だが、最初に聞いた言葉は「あなたは神を信じますか?」という切り出しであった。「ビアンシュール!」それきたとばかり強い口調で返すことができたのはラッキーであった。

それ以来、宗教は違うが神を信じる日本人として、他の日本人とは違う扱いをしてくれるようになった。

彼が言うには、イスラームの教えでは神を信じない人には心を許してはならない。一緒に食事をすることも許されない、ということであった。

会社の就業時間は8時から5時である。夕方6時からモスクのお祈りが始まるので、男性達はその周辺に集まり8時頃までモスクに出入りしたり、お祈りをしたりしておしゃべり楽しむ。

私はその場所に行って彼等と宗教談義をするのが毎日の楽しみであった。

イスラーム教徒は宗教について語るのが好きで話しによく付き合ってくれた。

旧約聖書モーセ五書はキリスト教と同じであるので話はかみ合ったが、イエスを神と信じるキリスト教と、偉大な預言者として扱うイスラーム教は、そこで大きく開きが出た。

議論していくうちにこちらもだんだん考えが怪しくなってきて、自分が主張している「神」って何?という疑問が出てきてそれが今になっても自分の課題として残っている。

キリスト教の神は唯一と主張しながらイエスの存在を「三位一体」論で解決しようとする。ここを突かれると自分の消化不良が露わに出てしまう。

さて、私がイスラーム教徒と接して一番印象に残ったことは何か。それは理屈抜きに、この宗教はこれからも強力に世界的な広がりを続けるだろうと感じた。

キリスト教の教義や姿勢と大きく違うのは、生活の規範を中心教義にしていて、それを共有することで互いに連帯感を持っている。従って彼らは共通文化を持つ一つの民族のようなものであると思ったからである。

たとえばキリスト教の場合、聖書は一つでも解釈は幾通りもあり、生活規範に関することは少ない。

 ところで、アルジェリアでイスラーム教ばかりと接触していたのかといえば、実はキリスト教徒としてのアイデンティティを確認したいという思いも持ち続けていたので、熱心に教会探しもした。

20年前の独立戦争に勝利したとき、すべての外国の宗教は排除して国が教会も接収した。

あちこちのカトドラル風建物は市場や集会所になっていて、誰に尋ねてもキリスト教はもう死んだという答えしか得られなかった。

日本人として江戸時代のキリスト教弾圧の歴史を知っているので、絶対にどこかで息を潜めて一般市民の中に紛れているという確信を持って、会社で何度も聞いて廻った。

ある日、私の部下が自分の村にキリスト教のフランス人が居るとこっそり教えてくれた。

街の中の人ごみが消えて誰にも見えない真っ暗な夜に待ち合わせをして、その家に案内してくれた。

そのようなことが村の人に知れると彼は裏切り者になるので、その場から彼はすぐ消え失せた。

その出会いが、後に日本に帰ってからのカトリック教会との付き合いの始まりになるとは不思議なことである。この話はまだまだ沢山語りたいことがあるが省略する。

案内してもらった家にはカトリックの神父が居住していて、カトリックが中心になって進めているフォコラーレ運動のメンバーであった。帰国後、そのマリノ神父が日本に居るメンバーのシント・ブスケットに連絡してくれたが、シントは後にバチカン神学大学の教授になり、北イタリア神学大学の教授たちを日本の仏教研究に引率して来日した折、私にその案内役を頼んできた。延暦寺の半田座主との謁見に立ち会ったり、月曜会の大江先生の協力も得て妙心寺での仏教との交流につきあったのは最近の出来事である。

 

E.余暇の楽しみ

 週休2日で木金が休みである。そのほかに5ヶ月勤務して1ヶ月の休暇がある。

休みの日にはカトリック神父のところへ遊びにいった。モーターボートでルアーフィッシングをしたり、山へ狩猟にも連れてもらった。彼は沢山の外国人と知り合いで、ポンコツ車で一緒にその家にも連れてもらった。貧しい生活だが、海で魚を取り、山で猪を撃って食料にした。24カ国の人たちと交流した。金曜日は神父の自宅に集まってミサを捧げる。国では異教は禁止されているので現地の人は居ない。24カ国あるのでカトリック以外の教団の信徒が多数含まれる。東方教会やコプト教会の人も居る。

韓国の仏教徒も居たが何の違和感もなく一緒にミサに加えてくれた。カトリック信徒だけという偏狭な考えはみじんも感じられない。このときの体験が、後に私の宗教観に大きな影響を与えることになった。

その教会はかなり古いが日本人が来たのは初めてだという。そこに各国の聖書に混じって日本語の新約聖書が用意されていたのには驚いた。初めてのジャポネに会いに700km離れたアルジェから司教が尋ねてきてくれてとてもうれしかった。このピエール司教は私が帰国後イスラーム過激派に殺害されたと知らされた。

日本人サイトでは、私はリクレーション企画を担当した。ほとんどの日本人はフランス語が使えないので休みの日はサイトでマージャンや読書で過ごすので暇をもて余す。長期間そのような状態に置かれると精神的に不健康になるので、発散する機会を企画してお世話をするのである。

全部が男性であるのできれいごとは言っておれない。私が赴任する前は川崎重工のメンバーが多く、筋骨隆々タイプが多かったのでその人たちに合ったリクレーションが企画されたが、私のときは草食系が増えたのでそれ相応の企画も多くなった。サイトにはドクターが常駐しているのでリクレーション企画の相談にも乗ってもらった。大型バスをチャーターして何度もサハラ砂漠に旅行した。

個人的にもよく出掛けた。タクシーを使うと現地の人と接する機会が少なくなるので、積極的にバスを使った。女性と話す機会を作るために、日本式のおにぎり弁当を作って、食べている姿を珍しそうに覗きにくる女性に、食べてみる?と話しかけてお近づきになるきっかけを楽しんだ。

1カ月の休暇の半分はフランス・スイス・スペインで楽しんだ。一人旅の手作りプランで貴重な体験であった。

E.海外勤務で得たこと

紙面の都合で触れることはできなかったが、命の危険を感じることがあったり、人との葛藤が原因で鬱状態になったり、色々な苦い思い出があるため、少々のことには鈍感になって動じなくなった。何か困難に出くわしても、そのときを思い出すとどれも小さく見えてしまう。

価値観や文化の違いを体験したことも大きな収穫であった。日本という小さな島で違う考えの人が居ても、大した違いとは感じないようになった。

さらに最大の収穫は、宗教に対する考えがコペルニクス的に転回したことである。キリスト教会ではタブーになっている宗教多元主義に傾倒するようになったのはこのときからである。

 

 
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考える力随想

栗村 典男

 
 
 

 昨今、教育のなかでも「考える力」の低下についての記事が目につくが、そこでは学生や新入社員としての若者たちの考える力が問題にされている。しかしここでの「考える力」とは具体的に何を期待されているのだろうか。そしてその「考える力」の回復・涵養のためには何をどのように考え、実行すべきなのだろうか。

 「考える力が弱くなった」と大学の教師が発言することは少なくないが、同じ教師という立場と同種の教育現場にありながら高等学校までの教師による同様の発言は少ない。しかしこの理由は明確である。すなわち高等学校までは教科書の内容(水準)達成が学習の主体となり、「考える」ことよりも「記憶する」ことに比重が置かれるからである。すなわち設定された学習到達水準を超えたところから生まれる創造力、推理的な思考の拡大・深化としての「考える力」に教育の主体が置かれていないのである。現実の教育現場での生徒や児童への教育目標は、文部科学省が査定した教科書に関わる教師用「指導要領」に見合った“指導”目標への到達である。その結果、学習方法が取得のための記憶主体となり、既存の知識などを超えて拡大・深化する創造や推理などの発達に必要な「考える力」の涵養は二次的目標となりやすいのである。

 教育哲学や教育原理などのテキストでは、教育の二大要素として「教育的機能と援助的機能」が挙げられている。しかし日本の文部科学省では文部省の時代から、高等学校までの教育機関や教師に対して「指導要領」は出しても「援助要領」なるものはなく、話題になったことさえない。文部科学省の思考背景には、その管理下にある高等学校や義務教育は、国家に教育権はあっても児童、生徒には教育を受ける主体的権利を明確には認めていないことが考えられる。従って、教育を受ける側の根本的・本質的姿勢として不可欠な主体性を土台に思考の拡大、深化、創造、推理力の涵養を志向する教育的関わりとしての「援助」的教育について日本社会の理解は浅く、故に児童や生徒、そして大学生や一般人にも余り理解され求められていないようにも見える。

 ここで参考になるのが学校教育を主体とした教育哲学で知られるプガグマティスト、J. デューイの思想である。彼は教育の職分として“指導(Direction)、制御(control)、指導(guidance)”を挙げている。また、「後日の結果に向かって種々の活動が累積されていくことを“成長”という」等の発言からもみられるように、デューイは経験に大きな比重を置いている。そこでは経験内の統制よりも経験の質と量の拡大、すなわち経験することへの勧めがあり、援助的思想が濃いといえる。

 文部科学省による指導要領で縛りをかけていない大学教育の場でも、教育での援助的機能が希薄であるように見えるのには根拠がある。我が国において高等学校の教師までは教科書毎に教員免許の取得が必須条件になっている。よって教員免許を得るためには一定の教育学関係の学習、即ち単位の取得と教育実習を経ていなければならず、その過程で最小限度の教育に対する知識(理論)と技術の学習と経験をしている。

 しかし大学の教師は教育理論や技術がなくとも専門分野での一定の研究業績さえあれば教壇に立てる。いうなれば大学の教師には、その前提に教育者であることが求められていないのである。以前、「大学の教師には研究者、学者、教育者としての三つの機能がある」と羽仁五郎が書いていた。しかし、現実において大学教員が任用・評価されるのは何よりも“研究者(本質的には最先端部研究に関わっており、研究結果としてオリジナリティを持った理論・業績を持つ人)”であることであり、ついで求められているのは専門分野での先端理論を学生や一般人に対して仲介的に説明・解説できる“学者”である。研究者や学者は、その研究業績を学生に伝えたり著作や講演やマスコミへの露出などによって一般社会に解説したりする啓発的役割は果たすものの、人格形成・主体性(主体的思考能力)の涵養のための援助的教育には重きを置いていない。

この研究者・学者主体の教育体制下の大学教育の場では、教育が勢い知識の伝達・習得を主とし、とりわけマスプロ化した大学においては、知識の習得が社会での即戦力の習得となりがちな潜在的、顕在的体制が見られる。もっとも大学の専門教育では、学年が進むと講義だけでなく少人数での相互作用的な学習を意図した専門科目での演習もあり、そこで学生は明確・創造的な自己表現的議論を介して「考える」力を涵養する機会を持つが、マスプロ化した大学での多人数での演習は実質的には講義と大差なく、議論を介して考え、そして考える力を涵養できるだけの時間が少ないのが現状のようである。

昨今この「考える力」の衰えを嘆く心ある大学教師から、「考える力」の涵養にとって最も重要な人格形成のための基礎教育を担う教養部が廃止されたことは教養教育の不足や軽視であり、「考える力」低下の一因という発言が散見される。教養学部の廃止の背景にある教養軽視が一般化した一因には、大学教育一般が先端技術などを駆使している企業での即戦力を高めるために専門知識習得等に比重を置いていることが考えられる。この傾向が、新たな何かの開発・展開・発展に必要な「考える力」の涵養を軽視していることにあると理解するならば、教養部の廃止はその現象以上に大きな問題を生じさせたといえる。そしてこの問題は、形式的に教養部を復活させたとしても解決できるものではない。

即戦力としての専門教育の主目的は進歩の速い経済社会の最先端部分の知識・技術の習得であり、本質的には知識や技術などの「習得」という記憶効果への期待である。しかし記憶というものは到達のための手段であり、そこからの発展・拡大・深化のための前提ではあってもそこに留まってはその前提の動因にはなりえない。この動因を教育の“手段”と言い換えれば、そこで効率的な手段となりうるのは「考える力」、すなわち本質的な意味での思考力の涵養であろう。この力は前例や既存のものを学習した上でそれらを超えて拡大と深化のための自由な発想を持った創造的・推理的能力である。そしてその能力は記憶を主体とした即戦力養成教育では育ちにくい。したがって大学教育の場が大学教育の主たる役割を即戦力養成に変更した結果が、今日のあらゆる社会的側面における「考える力」の低下現象として顕在しているといえるかもしれない。

時間的、文化的展開過程を経て現出している社会水準に到達するための記憶主体教育を超えて更なる発展、拡大、深化を目指す教育としての「考える力」は、制約から解放された自由な発想を可能とする力でもある。その力は指導者が既に持っている答えやそこに到達するための指導的教育だけでは育たない。例え指導者がいても、その指導的教育内容を超えた自由な発想ができるような“援助的教育”ができない限り教育を受けている者の考える力や自由な発想・構想力は育たない。すなわち、その教育が受動的であったり、服従的とまでは言わないまでも追従的な効率追求を目的としていたりしては不十分なのである。

ここで「考える力」涵養の教育的手段としての科目についても考察してみたい。先にも触れたように人間の精神的機能の発達過程は記憶に始まり、記憶した知識や情報といった材料を元に思考を拡大、深化させ、推理、想像、創造へと発達的に展開する。この理解を前提とするならば、まず思考の材料習得の科目の選定が必要であり、ついでその材料を活用しながら思考力の深化、拡大的教育実践者としての教育者、教育の在り方の検討が必要となろう。

先に教育の根底には指導と援助という二大基本要素があることを認めた。大学の教師の三大要素として研究者、学者、教育者を取り上げてもみたが、知識の伝達的、指導的教育材料とそのための人材(教師)は現時点でも満たされている。現在において不足かつ必要とされていることは、教育機構、制度・思想の実践にとって不可欠な、教育における指導と援助を区別して理解できている真の意味での“教育者”の存在であろう。

ここでは説明的理論については頁数節約のため割愛するが、一定水準に達した精神的能力を持った者との教育関係下という前提で「考える力」を涵養する科目を素直に考えてみるなら、その関係下では先ず哲学がある。ついで「倫理学」が選定されなければならないだろう。「考える力」涵養の最強武器としての哲学は「知識の一種ではなく思考の一種」とも評されることから、最初に取り上げることに異論を持つ人は少ないであろう。その次に倫理学を選ぶのは、急速な科学の進化的変化が人間の生活とその在り方(倫理)に大きな影響を与えている(BioEthicsの活動への社会的要請等)という現実理解が根拠である。

哲学や倫理学の教育、学習の場においてその基本的前提として理解しておかなければならないのは、知識として記憶のための、学習という名目での「“哲学”学」や「“倫理学”学」ではない。I. カントの言う「哲学とは哲学をすること (Philosophie ist Philosophieren)」であり、プラトンのソクラテスの対話の様に、対話を介して思考を深め、広げ、時には時間的、空間的制約を超えた推理などを介した“自由”な推理的、創造的要素を持った本質、根源志向的な思考姿勢を学習、習得できる教育である。そしてその教育に必要な学習者の自由な思考を援助し支えること、即ち学習者の能力を引き出し育てることができるだけの能力を持った“援助的教育者”の存在であろう。

無論「考える力」の涵養が教養に関わる教育と深い関係を持っているとはいえ、その教養教育に関わる科目、教材は他にも多く考えられ、一般的教養なるものには更に文学、歴史、芸術、思想などを含む総合的文化として考えられることも多いことから、他の科目の特性の活用も考えるべきであろう。また深化、細分化された学部の専門教育の前段階にその専門分野の概論、歴史を学ぶことで専門科目の本質、理念、大局観の学習をもって「考える力」を涵養するという理論もある。この理論はそれ自体一つの識見であろうが、やはりそれと並行して、或いはその前段階で哲学と倫理学を学び、考えることは有効であろう。

「考える力」の回復というよりも涵養のために、ポイントを限定して一つの結論を求めるならば、まずは「考える力」の意味するところを理解した“援助的教育者”の存在と、その教育者による「哲学」と「倫理学」の教育が喫緊のことと理解したい。例えばフランスのリセ(高等教育)の最高学年での一週間に5時間を占める「哲学」の授業は、フランスの世人が彼らのことを「考える人」と呼んでいることから見ても、哲学に対する深い理解を持った教育関係者の高い見識によるものとして参考になるかもしれない。

 

ヨーロッパ各国における『日本』の表記は、

どうして“JIPANG”系なのか   中島道郎

 本誌1744頁に掲載された、竹野萬雪氏の論説『「日本」の表記は「NIPPON」に:どうして「JAPAN」なのか』を興味深く拝読した。と、云うのも、筆者は子供の時から、日本はどうしてジパングなのか?という疑問を抱きつつ、それが80歳を超えた今でも解決出来ずにいるので、この論説でそれが教えて貰えるかも、と期待したからである。ところが、氏の主張は、「日本のローマ字表記は須くNIPPONとすべきであるのに、なぜJAPANとするのか」と云うもので、筆者の期待した趣旨とはかけ離れたものであった。しかし、それはそれで、氏の主張には賛同すべき点がいくつかあるので、面白く拝読し続けたが、読み進むうちに、果してそうかなあ?と云う疑問点もいくつか湧いてきたので、それを以下の如く挙げてみた。

氏の主張されるところは次のような趣旨であると理解する。即ち、日本の呼称は、1970年、時の閣議で「ニッポン」に統一する、と決められており、現に郵便切手・日本銀行券(円紙幣)はNIPPONと印刷されてあるし、NHKのNもニッポンのNである。然るに何ぞ、JRだの、JAだの、はては「ナデシコジャパン」だの、これは一体どうしたことなのだ!というお叱りである。それはその通りで、お叱りはご尤も、と大いに賛成である。

 しかし、氏がそういうことは好ましくないとする根拠として、Indonesiaを例に挙げ、同国は国の内外を問わず、呼称は一つである、と主張されるが、それは如何なものか。なぜなら、この国は、そう自称する前は一つの独立国ではなく、オランダの植民地、日本語訳「オランダ領東印度」であった。それが独立してIndonesiaというヨーロッパ風の国名を付けたというだけのことで、初めから自国名など無いのだから、NIPPONJAPANのような二重国名が付く訳がない。例として挙げるには不適切な選択ではなかろうか。

 また、日本代表チームの愛称に「ナデシコジャパン」など、ジャパンを使うのは宜しくない,命名は須く「ニッポン」にすべし、との提案であるが、これも頂けない。これはあくまで愛称であり、正しい-正しくない、の論点からではなく、世界中から、どちらがより多くの人達に、そしてより気楽にそう呼んで貰えるか、という論点で評価すべきものではなかろうかと、私は考える。

 ところで、そのNIPPONにしたところで、この島に住んでいた古代人が、自分たちの国の名はニッポンだ、といった感覚で命名したわけではない。古代シナ大陸の人たちが、日が昇る方向にある土地、という意味で日のもと=日本と呼んでくれたのであった。だから、ニッポンという呼称を、金科玉条のごとく尊重するのはナンセンスである。そう、古代の我が国の呼称は邪馬台国、或いは倭国であった、とされている。しかしそれらにしても、正式国名として、諸外国からそう認識して貰っていたという実績はない。また、邪馬台国の語源は諸説あっていづれも信ずるに値しないし、倭国にしても、「この島の人々は自分のことを『ワ』と呼んでいる」から倭国と呼ばれた、という説があるが、こじつけであろう。

 私が小学生のころ、マルコポーロがニッポンをジパングと聞き違えてそうヨーロッパに紹介したのだ、と教えられた。それは子供心にも、ニッポンをジパングと聞き違えるなんて、いくらなんでも、そんなことがあろう筈はないと思い、その説明に納得出来なかった。でも、ではどうしてそんな風に、誤って紹介されてしまったのだろう?という疑問は大人になってもずっと解けず仕舞いであった。それを真面目に取り上げて解説した論説に出合ったことが無かったのである。ところがつい数年前のこと、ある偶然から、「日本」は「本日」の字順を逆にしたものであることに気がついた。本日=ホンジツの字順を逆にすれば→日本=ジツホンになるではないか!「ツ」の後に来る「ホ」は詰って「ポ」になる。マルコポーロは元の国に来て、東海の彼方に日本(ジッポン)という

国がある、と聞かされた。それを彼は、ポをパに、そのンはnではなくngと聞き取り、そうか、ジパング国という國があるのか、と、その話を自国に持ち帰ったものと想像する。これがヨーロッパ各国に伝わる間に、Jipang或いはJapan, Japon etcとなったものであろう、とすれば話の辻褄があう。多分そういうことであったろうと、私は推論する。

押しつけ憲法論批判        筒井健雄
 安倍さんの改憲論はこの憲法は押しつけられたものであるから変えた方が良いというものです。
 この点について、われわれの「憲法九条を守る会」では憲法について専門的に研究している会員の一人に協力して貰って、1945年8月14日のポツダム宣言受諾以降翌年の3月6日の憲法草案要綱発表の日までの約7ヶ月余に渡って殆ど毎日のようになされた憲法制定に関わる会議をつぶさに検討しました。
 その結果、次のようなことが明らかになりました。①安倍さんの言う「押し付けられた」という面は確かにあります。しかし、それは日本にまかされた憲法改正が、政府選任の憲法制定委員会である松本蒸治憲法問題調査委員会では、明治憲法の枠を出られないものしか提出できなかったということによります。委員長の松本さんはじめ委員達は皆、人類の思想の発展方向が民主主義であるのにも拘わらず、その事への認識が全く欠けていたということによっていたのでした。
 ちなみに、1945年1011日に幣原喜重郎(新首相)・マッカーサー会談、日本の社会制度改革について「五大改革指令」は
 ①婦人解放・参政権保障
 ②労働組合組織化の奨励
 ③学校の自由化・民主化
 ④秘密の尋問と虐待の諸制度の廃止
 ⑤経済機構の民主化
   などでした。
 なお、1946年1月24日 幣原・マッカーサー会談 では幣原さんが、世界中が戦争放棄すれば良いということで戦争放棄の提案をしたとき、「マッカーサーは急に立ち上がって両手で手を握り涙を目にいっぱいためてその通りだと言い出したので幣原は一寸びっくりしたという。」という(憲法調査会「憲法制定の経過に関する小委員会第47回会議録」1962年)記事がありますが、他の記事と重ね合わせて考えると、この話をもって幣原さんが「戦争放棄の提案者であった」とする説は、その後の幣原さんの言動から見て、疑わしい感じがします。 
 以上あげた点は白洲次郎氏が「プリンシプルのない日本」に書いているように進歩した理念(プリンシプル)を提起し得なかった日本政府の問題点があったということは歴然たる事実なのであります。ちなみに白洲さんは幣原首相や松本蒸治委員長と共に3人でGHQに出向いたのでした。彼もまたこの本の中で「この憲法は押し付けられたものである。」と書いています。これはまさに古い理念しか持っていなかった当時の日本政府の要人達の問題であったし、当時の日本国民の問題でもあったと言えるでしょう。
 民主主義についての認識不足の問題は民間の進んだ(高野岩三郎が創設し、鈴木安蔵が講師としての役割を発揮した)憲法研究会においても高野岩三郎が提案した共和制国家設立の提案も時期尚早として見送られた状況がありました。松本案はその意味では全くお話にも何にもならないものでした。そのためマッカーサーから拒否されて、極めて短期間の間に不眠不休の努力をもって制定されたものを「押し付けられた」ようであります。
 ただし、マッカーサーの名誉のために付け加えて置くならば、彼は昭和天皇をイギリスなど多数の連合国の激しい戦争責任追及から守るために非常に急いで新憲法を制定し、194611月3日発布、翌年5月3日施行に持って行ったという経過があったわけです。マッカーサーが何故そんなに昭和天皇を守ろうとしたのかよく分からない点もあるのですが、次のような点が考えられました。①当時の天皇に対する日本国民の敬愛と服従状態から見て、占領政策の実施のためには極めて有効であるとの判断、②昭和天皇がマッカーサーを訪ねたときの態度の潔さが、彼に感動を与えたこと、(マッカーサーは新渡戸稲造の「武士道」を読んでいたのではないかと推測される)などが考えられました。
 これらの点について、マッカーサーは後に「日本人はその知的年齢(注:社会制度に関する意味と思われる)が12歳の子どもに過ぎない。」との演説をして、様々な話題を提供しました。これは、まさに彼から見て自立した精神を持ち得なかった当時の日本人を表現する的確な言葉だったのではないでしょうか。
 これは明治憲法下においては、天皇一人が主権者であって、国民は臣下、言い換えれば主権なき奴隷に等しい存在であった、ということではなかったでしょうか。この点については、戦後新憲法下において既に66年になろうとしていますから、当時の日本人とは人権感覚が大変違って来ていると考えて良いのではないでしょうか。
 もし、安倍さんがこの点を踏まえずに、天皇を元首にしようとする憲法改正をしようとすると、とんでもない火傷を負うことになるのではないでしょうか。また、科学の第三革命である「新しい科学」から見て、核時代における国際紛争解決手段は戦争ではなく、外交手腕にありますから、憲法九条を伴う核廃絶論がこれからの世界の進むべき方向であり、核抑止論は時代遅れの虚仮威しのものでしかない、ということを心の底から認識してほしいものです。

 

「拝啓汲田様」          海野和三郎

「宇宙NO350」に載った論説“平成25年、新時代への決断の年”についてコメント頂き有り難うございました。老子の「道(TAO)」には、宇宙・いのち・時間・エネルギーといった根元的なルールが全て含まれていると思いますが、3元論(3から万物)的に考えると、今の時代、人類の在り方を先導的に変化させているのは、エネルギー源の不足が顕在化しつつあることではないか、と考えています。人類の進化には物質的な進化と精神的な進化とが相補的に進行する必要がありますが、21世紀の急激な進化ではとかくちぐはぐに成りがちです。汲田さんの御指摘にある「人類の意識の大転換」は不可欠ですが、困難で、国際情勢を見ても、マスコミの論説を見ても、その辺の配慮は伺えず、むしろ進化に逆行しているようです。「意識の大転換」のキーワードは“人類の分離意識から自他一体感へ、利他心を人類と自然との共生に向かわせる”ことにある、という御指摘は大変重要で、その為にも太陽エネルギーをこれまでの太陽光発電などより10倍有効利用する工法の普及をその実現の手段としたい考えです。汲田さんの論説にあるように、超多次元の複雑系の世界では常にプラスとマイナスが表裏一体ですので、マイナスをプラスに使う必要があるわけで、それが100年目の危機にある21世紀文明の進化への道でしょう。人類も猿人の時代には山火事の怖さを知り、利己的な火の悪用もしたであろうが、やがて自他一体観で自然との共生に向かい、火の文明を持つ原人から現代人へと進化して行ったと考えられます。人類は、原子力に対して山火事に対する猿人のような関係にあるようです。原爆は利己的な悪用であるが、もし小惑星が地球に衝突するような危機があれば、その軌道を衝突しないように変えることもできよう。原発も石油ピーク問題と地球温暖化問題への対処という期待が先行して、地震への対処という自然との共生の面で手落ちがあり、原発廃止論を燃え上がらせた。しかし、急激な脱原発論は、経済問題を別にしても、エネルギー問題地球環境問題という21世紀人類進化の基本問題への対策に対して、その一つを無謀に捨て去る短見と云わざるを得ない。むしろ、東日本大震災は、地熱を運ぶマグマの対流が地球自転運動に載って竜巻状になり、北上するにつれてマグマの竜巻台風は勢いを増し、これが運ぶ角運動量が日本列島を折り曲げ、そのストレスが1000年に一度の大地震となる、といった見方で、自然との共生を考える良いきっかけにもなる。

 最後に、「意識の大転換」を目指す場合の心得として、次元の高い思考をすること、百年千年の未来を心配すること、の2点を挙げたい。「人類全体の自他一体感」「利他心を人類と自然の共生に」という汲田さんの提言と対応している。

 

(編集:湯浅・川東)

   
 
   
 

   
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