早くも夏至が過ぎ、今年の半分が終ってしまいました。
高齢になると時間の経つのがとても速く感じられ、急かされる思いをすることが多くなりました。
夏至と言えば二十四節気のひとつ、6月21日から7月6日までの節気です。この日、太陽は最も高く昇り、昼は一番長く、夜は一番短かい。実感ありますか。
一年・二十四節気の季節の移ろいの中で、「2至2分(にしにぶん)」という覚え方を教わりました。冬至と夏至、これが2至。春分と秋分で2分。「2至2分(にしにぶん)」は、日本の季節の要(かなめ)の日であることがわかります。日本人の生活の知恵の言葉といえるでしょう。
俳句歳時記(角川書店)の夏至
例句4つから2句を眺めます。
* 夏至今日と思ひつつ書を閉じにけり 虚子 (閉じ、の「じ」は「ち」に濁点)
* 金借りに鉄扉重しや夏至の雨 源蔵
高濱虚子は、そうだったか。きょうはもう夏至なのだと気づいて、なにか感慨をもよおしながら、読んでいる本を静かに閉じた、というのです。なるほど。
源蔵とは角川書店主で俳人としても知られた角川源蔵ですが、降る梅雨の雨の中を資金の工面に出かけて行く。銀行でしょうか、鉄の扉の重たさがひとしおだ、という。資金繰り、悩ましい仕事ですね。角川書店先代の告白。人生を感じます。
一方、こんな句もあります。「梅雨寒の吐息の白さ壁に吸わる」。昭和23年ころ肺結核で丘の上の療養所に入院中の、ぼく十七歳の句です。暑い日があるかと思うと寒くて、セーターがほしい日もあるのが梅雨。その日は寒い日で吐く息が白く、やがて病室の白壁に吸われるように消えたのでした。消える息と命、思春期の感傷でした。
天候不順の季節ですが、年々その荒れ方がひどくなり、地球温暖化の防止対策は、もう待った無しの地球社会です。が、国連も各国も意外に呑気。電力会社は気にしているのかいないのか。地球の自然の「秩序」が根底から狂っていることに、市民も企業も行政も国家も、真剣にならないと地球は危ないのではないか。地球は「知恵」を待っているでしょう。経済活性化どころの話しではありません。
梅雨と斎藤茂吉の短歌
梅雨時になると思い出す歌があります。斎藤茂吉の短歌です。
五月雨(さみだれ)は なにに降りくる 梅の実は
熟(う)みて落つらむ この五月雨に
声に出して読んでみましょう。2〜3回繰り替えすと、この歌の語感とリズムの絶妙さが、読み手に伝わってきます。「梅の実」と「熟みて」の語呂あわせ、頭の「五月雨」とお尻の「五月雨」の首尾完結の巧み。よくもこんなよい歌を歌えたものと、思い出すたびに感に耐えません。
斎藤茂吉は、万葉時代から連綿と伝わってきた日本語の味わいと美しさを、昭和時代にまで受け継いだ、すばらしい歌人だと思います。
この一首。梅雨の最中、しとしとと止むことなく雨がふっている。少し黄色く色づいて熟れた梅の実が「ぽとん!」と、ぬれた地面に落ちてくる。その情景を見ながら茂吉が心に残した情感。しかも、その言葉表現の絶妙なこと。こういうデリケートな心情も伝える日本語、なんとありがたい宝だろうと思うのです。
ついでに、といっては失礼ですが、思い浮かぶままに茂吉をもう少し。
山故に笹竹の子を喰いにけり
ははそはの母よははそはの母よ
山形県に育ち大都会を知ることなく逝った母の死に駆けつけたときの、茂吉の「死に給う母」という歌の中の一首です。ここでも「ははそはの」という枕言葉を重ねています。どれほど母への思いが深かったか。ほかの言葉では言い表わせない思いが伝わってきますね。このときの数首は著名です。
*喉(のど)赤きつばくらめ二羽梁(はり)に居て
垂乳根(たらちね)の母は死にたまふなり
*わが母を焼かねばならぬ火をもてり
仰ぐ空には見るものもなし
漢字とひらがなの日本語だからこそ生まれた短歌や俳句、その深い味わいも一年に二十四節気がある自然風土から生まれた詩なのでしょう。日本語を大切にしたい思いが、年ごとにつよくなっていきます。
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