長野県の作久病院勤務医だった長(ちょう)純一先生は、東日本大震災のあと、
宮城県石巻市に赴き診療所を開いて地域医療に取り組んでおいでです。
長先生は、東北被災地の地域社会が崩れそうになっている現実を知り、単身で赴いたのでした。知合っていた人びとが離ればなれになり、仮設住宅での暮しはコミュニティが崩れていきます。コミュニティーとは、支えあう力によって成り立つ社会です。しかし、支え合う関係が薄れてしまった石巻は、コミュニティー状態でなくなりつつありました。
高齢になった住民は、体調を崩しても病気になっても、診療所に現れません。九十歳台の親を六十歳台の娘や息子がひとりで介護しつつ、自分も体調を崩していくような例が増えていきます。「在宅」で行う訪問診療が不可欠でした。
そんな地域に赴いた長先生は精力的に動き始めます。診療所を訪れる患者への丁寧な診療、動けない患者への訪問診療。いずれも「3分間診療」ではなく、患者と家族との日常生活の飾らない会話によって、閉じこもりがちな患者の心を開いていきました。
コミュニケーションが成り立つと、「人」としての会話・対話もできるようになり、笑顔も生まれます。信頼が生まれた証拠です。相談相手としての医師、地域住民同士としての医師、人として会話のできる医師が地域を変えていきました。
老人の「孤独化」をどうするか。「老い」が「老い」を看取っている現実をどうするか。それが被災地域の課題なのでした。長先生の人間的な診療、対話のある指導によって閉じていた人びとの心が開き始め、信頼関係が生まれる。すると、人の絆の再生がゆっくり始まり、新しい地域の形ができ始めた、と長先生は述べています。
「医療は国民のもの、患者のもの、地域のものです」と先生は語る。そういう医療をどうしたら地域に根づかせていけるのか。長先生の奮闘は、この重要なテーマへの追求であり、闘いであるように思われます。
しかし、長先生は決して孤独ではありませんでした。最近、全国から長先生に協力して働きたいという若い医師が、次々に長先生の診療所を訪れるようになりました。「在宅医療」、人が人として生きる上で起る病とそれへの診療。「医は仁なり」という昔からの格言を思い起こすような、地域の現実が動きだしているようです。
一人の医師の「志」から始まっている地域の「在宅訪問診療」。これこそ単なる「復旧」ではなく、ほんとうの復興でしょう。新しい建設でしょう。地域社会から希望の明かりが見え始めているといえるでしょうか。
長先生と行動を共にされている女性看護士さんの姿も、尊いものに思えました。
現実を見つめ、そこから「為すべきこと」を見出す知力、それがいま求められている「知恵」であることを感じます。(NHK-TVレポートを見て)
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