1954年にはユニセフ(国連児童基金)の活動に参加
1989年、ユニセフ親善大使に任命される。映画「ローマの休日」の翌年です。
1992年、ユニセフ活動に対し文民を対象とする米国最高位の大統領自由勲章を受ける。
ヘプバーンさんは、1992(死去の前年)ソマリアを訪問。当時のソマリアは、かつて心を痛めたエチオピアやバングラデシュを上回るほどの悲惨な状況でした。それでも彼女は希望を捨てず、こう言っています。「政治家たちは子供たちのことにはまったく無関心です。でも、いつの日にかは人道支援の政治問題化ではなく、政治が人道化する日がやってくるでしょう」
「奇跡を信じない人は現実主義者とはいえません。私はユニセフがもたらした、水という奇跡を目にしてきたのです。何百年にもわたって、水を汲むために少女や女性たちが何マイルも歩く必要がありました。でもいまでは家のすぐそばに綺麗な水があります。水は生命です。綺麗な水はこの村の子供たちの健康と同義なのです」。
「貧しい地域に住む人びとは、私のこと“オードリー・ヘプバーン”は知らないでしょう。しかしユニセフという名前を覚えてくれました。ユニセフという文字を目にしたとき、人びとの顔が明るくなります。何が起こるかが分かっているからです。例えばスーダンでは、水を汲み上げるポンプは『ユニセフ』と呼ばれているのです」
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