有栖川公園を歩いていると、不意に「アイデンティティ」という言葉が浮かびました。日曜日の公園にはいつも外国人のお父さんが、子どもを連れてくる。サッカーボールの蹴り方を教えたり、キャッチボールをしたり。日本のお父さんは少ない。外国のお父さんは、子どもたちと共に戸外で過ごし交わるのが日曜日の仕事のようです。英語に混じって、時おりフランス語も聞えます。
そんな外国語から「アイデンティティ」という言葉が思い浮かんだのか。それもある。が、岩手県陸前高田の浜辺の一本松が頭から離れないのです。
その浜には長く続く松原があった。土地の先人たちが育て伝えてきた見事な松林。何十年もの間、防風・防潮林の役割を果たしてきた。しかし、あの3月11日。大津波は松原を呑み込んでしまった。凶暴な津波が引いた後に、ふしぎなことに一本だけが生き残った松の木があった。
なぜ一本だけが? だれにもわからない。運命か。ヒョロっと高く立つ一本松。前面に太平洋、背後には市民たちとそのなりわい、喜怒哀楽の日常があった。
ぼくの心にその一本松が見える。すると、「アイデンティティ」という言葉が、不意に浮かんだのです。
以下は、ぼくに聞えた一本松の独り言です。
*
なにがあのとき起こったのだろう
たった一本 残ってしまった松の木のぼく
一瞬で 消えてしまった何百本の仲間たち
いくら考えてもわからない どう考えてもわからない
どうしてあんなことが 起こったのだろう
陸前高田の浜は広がっていた
ぼくたちはその浜に立つ緑の松原 1キロメートルも続いていた
それは陸前高田のシンボルだった 市民たちの誇りだった
松原を吹く風は 陸前高田の四季の歌をうたっていた
冬の歌 夏の歌 夜明けの歌 大漁の歌
人びとは松原にきて 悩みをつぶやき 夢を語り 癒されていった
ぼくたちは住民の言葉を聞いて育った ともに生きていたのだ
子どもたちは松ぼっくりをひろい 落葉は風呂を沸かし 肥料にもなった
ぼくたちのスクラムはつよい海風を防ぎ 人びとの暮らしを守っていた
そのぼくたちが 自慢の松林が あっという間に消えた
いったいぜんたい どこにいったんだ どこにいったんだ
ぼくだけひとり置き去りにして 仲間たちをどこに消したんだ
あれからのぼくは
ひとりぼっちで雨にぬれ
ひとりぼっちで風を受け
ひとりぼっちで雲を眺め
ひとりぼっちで星を仰ぐ
ひとりぼっちで浪の音を聞き
ひとりぼっちで水平線を見る
ひとりぼっちじゃ 意味がない なにもかも空しい
声をあげても 呟いても 聞く相手がいない
ああ 「孤独」ってこういうことなんだ
ヒョロヒョロのっぽのぼくだけが 広い浜に立っている
仲間がいない松なんて 陸前高田の松じゃない
ぼくも仲間といっしょに津波に呑まれて消えてしまえばよかったんだ
どうして ぼくだけ残ってしまったんだ?
余震がくる いくどもいくども 余震がくる
懲りないで しつこくて 執念深くやってくる
揺れるたびに ぼくの根っこが踏ん張る 無言で踏ん張る
その踏ん張りにぼくは気付いた
なんてぼくは弱虫なんだろう
なんてぼくは意気地なしなんだろう
なんてぼくは身勝手なんだろう
ぼくの根っこがぼくにいう
はっきり生きろ はっきりさせろ
きみのアイデンティティは何なのだ?
きみの生き甲斐はどこにある?
それでもまだ ぼくの気持はさまよっていた
三月が過ぎ 四月になった 南の風が吹いてきた
その風に なにか 優しい香りがただよっていた
あ 水仙だ 痛めつけられた土の中から顔をあげ
凛とした香りを放っている小さな花がいる
ぼくは気づいた ぼくの使命に気がついた
たったひとり残ったぼくだから すべきこと
それは語り部 大切な仕事ではないか
ぼくが見たことを ぼくが聞いた音を 語り伝えていかなくては
マグニチュード9.0 その大地震と大津波の証人なのだから
その語り部として残されたのが ぼくだった
陸前高田があるかぎり 高田の浜辺があるかぎり
この浜に松原はなくてはならない 松原のルネッサンスを
芽吹く若葉を育て 松ぼっくりをたくさんつくり
陸前高田のこの浜辺に ぼくのDNAを残していくのだ
防風 防潮 人びとに憩いを それが ぼくのアイデンティティ
負けないで ひるまないで 背筋を伸ばして生きていく
この一本松が 希望のシンボルになるために
この一本松が 励ましの存在価値となるために
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